自家中毒

たわごと置場。感想及び記録

すぐさま あなたの思うさま 真っ逆さま

東京芸術劇場真夏の夜の夢
シルヴィウ・プルカレーテ演出。野田秀樹潤色。

つらつら特にまとまりもなく雑感。見当違いと言われようと、受け取り方は人の数だけということでご愛敬。

真夏の夜の夢」というお話に介入するメフィストフェレス
シェイクスピアの作品に介入する野田秀樹

メフィストは演出家もしくはトリックスターとして、物語の外側から、出入り業者達をそしてお話全体をコントロールしようとする。
(途中オーベロンの仮装をしたメフィストはとてもマエストロっぽくも見える)
ところが、そぼろに語られることによって、途端に物語の枠組みの中に取り込まれ登場人物となってしまう。
メフィストは涙を流しました」
そう語られたら、涙を流すしかない。
最後は悪魔は負けてしまうのが物語の常。

メフィスト自身が語る。「見えないものを見せるのが芝居だろう」
物語ることで、演じられることで、無いものは具現化する。
恋も言葉で語られるうちにどんどんその気になっていく。
物語られたことで具現化した夢または狂気によって現実は浸食されていく。
どこまでが虚でどこからが実か境界が曖昧になってしまう。
氷屋曰く、「役者が狂気にはしれば本物だ」

真夏の夜の夢という舞台を観ていたのか、壮大な劇中劇を観ていたのか、そぼろの体験を見ていたのか、メタ構造でメビウスの輪みたいな終わり方。
芝居も恋もうたかたの夢。
気のせいかもしれないけれど、ないはずのものを「ある」と我々は確かに見せられた。
発せられず、うち捨てられているけれど、物語ること・芝居をつくること・演じることは、途方もない力を持っている。
そう主張しているように感じたのはこのご時世だからかもしれないけれど。

 

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