自家中毒

たわごと置場。感想及び記録

駒ちゃん問題について


駒ちゃん問題、要するに、都合のいい架空キャラの扱い問題。

大河ドラマ麒麟がくる」における駒ちゃん、ヒロイン枠かと思います。
当初は主人公・十兵衛に想いを寄せるキャラとして、また十兵衛パパとの繋がりを匂わせるキャラとして在りました。
ところが、あれよあれよという間に、今川の軍師・後の秀吉・後の家康・時の関白・後の十五代将軍、と歴史を知る視聴者からすれば錚々たるメンツと次々と出会っていく。
なんならちょっと好意も向けられていました。(勝手ながらこれを「ヒロイン補正」と呼んでおります)
しかも、東庵先生やら伊呂波太夫やらに振り回され出向いた先で偶然に、という出会い方です。

 

……いくらなんでもご都合展開すぎるでしょ。
と感じてしまったらもうだめ。視聴者にその違和感を抱かせてしまう時点で悪手ではないでしょうか。(私だけだったらごめんやで)

たとえ十兵衛本人と出会わなくとも、自由に動けるヒロインを後々重要となってくるキャラたちにぶつける。
そうして、各キャラの人となりを描き出して深みを出そうという作法上の心遣いなのかもしれません。
ただ、それってちょっと安易かつ古くさい手法になってしまったとも思います。

 

今のところ、駒ちゃんは重要キャラを描写するための便利な道具としての存在でしかないようです。
物語の都合で色々な場所に出没せざるをえず、作劇都合が優先されるため、彼女自身の意志や人物像はいつまでも視聴者に伝わらない。
いつまでたっても健気でピュアな(悪く言えば鈍感な)人物としてあり続けさせられている。
様々な人物や価値観を間近で目にしてきたことで彼女自身の物語も動き出す、という気配もまだなさそうです。
あるのは、当初から口にしている「麒麟のくるような平和な世界になるといいなあ」というふわっとした願いだけ。
(たとえば「真田丸」の架空ヒロインたるきりちゃんは、都合良く事件現場に居合わせたりもするけれど、彼女自身の意志と選択ゆえそうなった、という必然性がありました)
もしかしたら、最近やたらと描かれている「丸薬づくり」というエピソードが、彼女自身の人物像、ひいてはなんらかの伏線として組み上がっていくのかもしれません。
しかしよっぽどがっつり十兵衛の物語に絡んでこないと、「このシーン、いる?」と視聴者に思わせてしまいかねない気もします。
余談ですが、がっつり絡む場合、悲劇を呼ぶ可能性が高いのも怖いところです。
信長勢と寺社勢の争いにて、丸薬のせいでやたらに強い寺社の戦闘員たち。疲労がポン!
とうとう彼らの強さの秘密を掴む信長。丸薬供給源を絶つことを命じられた光秀は、巨大となった丸薬供給組織の中で駒と再会する。みたいな……(妄想)
いや、それさえ、光秀の悲劇性を強調するための便利な道具立てになってしまいそうですが……

以上、歴史もので架空キャラを創造する場合、ご都合キャラにならないようにするのって大変だよね、という感慨でした。
ぜひ駒ちゃんも、実在キャラの引き立たせ役以上の存在になってくれたらいいなあと思っています。

※ちなみに伊呂波太夫も色々なところに出没し便利に色々調達していますが、彼女はそもそもそういう生業という設定なので、いつどこにいようと「情報と商機に聡い人だから」で多少無茶でも納得できるんですよね。